A documentary by Silvia Lidia González
本ドキュメンタリーで紙芝居を使い歴史を語るのは、広島原爆から生き残ったひとりの男性である。原爆投下の何年も後、運命は彼を福島へ導いた。2011年に起きた大地震と津波、そして原発問題によって数千もの命が奪われたその場所で、彼自身もその犠牲になった。
物語に現れる、少女の幼少期の思い出、次世代への想いがつまった手紙、ラテンアメリカのアーティストたちによる「感受性の言葉」、そして小さな折り鶴たち、それらすべては、少女が祖父を想い浮かべる象徴である。
このドキュメンタリーは、原爆投下から70年が経過した広島と長崎の被爆者だけでなく、現在の福島を生きる人々にとっての原子力のもつ意味について私たちに問いかける。それは、放射能のもつリスクによる社会の不安や恐怖を明らかにした、広島と長崎の被爆者たちが訴えるメッセージなのである。
祖父を悼む少女の語りとともに、原爆に関連した資料の検閲や原子力に関する偏った宣伝活動についての研究者たちの見解を示し、ドキュメンタリーは続く。
物語を締めるのは、誤った情報が交錯する中、芸術やポップカルチャーが広島に原爆が投下されたその日から今日まで、どのようにしてこのテーマを伝えてきたのかについてである。とりわけ、ノーベル文学賞受賞者や名高い画家や歌手などイベロアメリカ諸国のアーティストによる、悲惨な出来事を語り伝える「感受性の言葉」の偉大さを、このドキュメンタリーを通して伝えたい。
「折り鶴の声」はどのようにして生まれたのか
「ヒロシマ」、「ナガサキ」そして平和思想は、歴史、コミュニケーション、文学、芸術、言語、政治学といった様々な分野、観点から扱われてきた、世界中の教育機関にとって重要なテーマである。この大学でも、広い視点から、且つ多言語で原爆の被害を受けた経験から放たれた平和へのメッセージを全世界に伝えることができるように、学生も教員も、一体となってこのテーマについて取り組んできた。「言葉は世界をつなぐ平和の礎」という大学の理念は、このプロジェクトの出発点である。
日本の神田外語大学におけるプロジェクトの集大成が、このドキュメンタリー映画だ。研究目的は、原爆投下から70年たった広島と長崎の記憶を再建するために、関係者の証言や視聴覚資料を収集すること、また、2011年に起きた大地震と津波が襲った、福島に住むの人々にとっての原子力の使用における問題と結果を伝えることである。私たちのねらいは、犠牲者たちの声を届け、国による情報操作、そして原爆によって生まれた「感受性の言葉」について深く考察することである。
クレジット
本ドキュメンタリーの指揮をとるシルビア・リディア・ゴンサレスは、『ヒロシマ、ニュースにならなかったニュース ー紛争時代の情報統制』においてヒロシマ研究の成果をすでにまとめているほか、原爆についての情報統制、平和思想、人権問題についても様々な論文を発表している。また、広島と長崎の現地調査で収集した未発表の視聴覚資料も多く所有している。
彼女は教員を務めながら、学術研究で得た広島と長崎の経験を、学界・講演会等で活用し、広島と長崎における様々な分野の専門家と研究者との間で制作チームを立ち上げた。それは、本ドキュメンタリーを通して語られる声を、より多くの人に共有することを目的としている。
ドキュメンタリーの第3章では、イベロアメリカの芸術作品や大衆文化にみられる「感受性の言葉」を、様々な分野の学生たちが彼女のもとで調査・翻訳した。これによっても、より多くの人が、広島と長崎の経験が与えた世界への影響について知ることができると彼女は期待する。
脚本・監督: シルビア・リディア・ゴンサレス
出演: 広島と長崎の被爆者、研究者、学生、芸術家
上映時間: 73分
制作年: 2017年
制作: 神田外語大学
制作協力: 東京セルバンテス文化センター、長崎外国語大学、サン・パウロ大学(ブラジル)、ロス・アンデス大学(ベネズエラ)、キューバ・アメリカ・ベネズエラ・ブラジル・メキシコの芸術家